composer 作曲家
2016年7月3日、東京のBUNCADEMYでレクチャーをしました。
自分のスクリプトをそのまま投稿します。


日本と私
音楽と断想

⒈ イントロダクション
みなさんこんにちは。ゼミソン•ダリルと申します。今日はようこそいらっしゃいました。今日のレクチャーのタイトルは「日本と私 音楽と断想」というものです。そのテーマですが、どんな役割を現代音楽や音楽家が、社会に対して果たしているかということがまず一つあります。その質問に対する答えはもちろん一つではありえませんので、今日はとりあえずいくつのアイディアについてお話ししようと思います。例えば音楽と自然界について、それから音楽と精神性について、現代音楽と伝統音楽というようなトピック、そんなような話題を提供したいと思います。
本題に入る前に、私を知らない方もいらっしゃると思いますので、まずは短い自己紹介をします。私はカナダの東海岸、港町のハリファックス市に生まれました。8歳からずっとピアノを弾いていますが、同時に8歳から作曲もしていました。高校生になると、近くにあるダルハウジー大学というところで、即興集団に参加しまして、即興を楽しんでいました。そこではポール・クラム先生の下で、グリッドの楽譜によりstructured improvisationを2年間作ったり、トランペットを弾いたりしていました。
18歳になって、私はカナダのウィルフレッドローリエ大学音楽部に入りました。ここは今考えても、いい音楽部だったと思います。どうしてかと言いますと、どんな編成であっても、幾ら作品を作っても、なんとか演奏するように頑張っていたからです。このとき私はオペラを2曲、弦楽四重奏曲を4つ、それから数えきれないほど、たくさんの歌曲を作曲しました。またここでは、対位法などを勉強しました。大学一年生の時、リンダ・カトリン・スミス先生の下で作曲を学んびました。このローリエ大学は文化大学、教養学部の大学ですから、音楽しか勉強しなかったというわけではなくて、音楽と同時に例えば古代ローマ時代のラテン語の詩歌であるとか、現代の戯曲、クィア理論、なんでも広く勉強ができました。
卒業後は、大学院で学ぶために、カナダからイギリスのロンドンに引っ越しました。なぜロンドンを選んだかというと、アメリカの保守的な芸術団体や組織が嫌いでしたし、またミニマリズムを避けたかったからです。それに、ヨーロッパの作曲家をもっと研究したかったという動機もあります。そういう理由でロンドンに行ったのですが、実はイギリスにいる間に一番影響を受けた作曲家は、ニューヨーク人のモートン・フェルドマン氏だったのは皮肉でした。
イントロダクションとしてここまでお話してきましたが、ここまでが日本に来日するまでの簡単なお話です。そこで、ヨーク大学大学院生のころに作曲した作品を聞いていただきたいと思います。これは2003年に作った「Songs of Love in Wintertime」(和訳:冬枯れの愛の歌)という歌曲です。



この作品を作っていたころ、私は哲学者兼作曲家のアドルノの美学についてのゼミナールに通っていましたし、自分でも戦後に現れた美学に影響を受けた考え方を持っていたと思います。その戦後期の現代音楽には長所がたくさんありますが、基本的な原理は、殆どネガティヴなものだと思います。アドルノの有名な言葉に 「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」というものがあります。反リアリズム、反調性、反旋律、反伝統、政治的には反資本主義、反アメリカ、反帝国主義、反右翼…そのうちのいくつかの運動には価値あると思いますが、殆どのものはネガティヴですから、その立場をつきつめるとニヒリズムに陥ってしまいます。ポストモダンのカナダから来たわたしが、ここでヨーロッパの戦後の不安に初めて会ったと言えるかもしれません。ニヒリズムであるとかネガティヴな思想に若者によく惹かれるものでしょう。
この曲は、戦後の「絶対セリアリズム」の感じとは全然違ったものに聞こえると思います。「絶対セリアリズム」は私の理解ではニヒリスティックなものですが、私は自分のニヒリスティックなムードのもとで「Songs of Love in Wintertime」を書いたのです。お渡しした歌詞をご覧ください。歌手は「あなた」と呼びかけているけれども、最終的には誰でもないことがはっきりしてきますし、次第にこのラブストーリーが終わりつつあることが明らかになりますし、ピアノパートは飾り気がなく技巧を必要としません。この静かな部分と沈黙する部分は、西洋ではニヒリスティックな、ネガティヴなイメージがあります。ネガティブな感じがこの作品を満たしています。来日前の2003年から2006年にかけて、これは第二次イラク戦争が始まる時に重なりますが、このとき私は沢山のネガティヴな作品を作っていました。失恋、片思い、反ファシズムのテーマの曲を書いていました。
日常生活の話に戻ります。ヨーク大学音楽出版社ではアルバイトとして働いていました。ここは近藤譲先生の作品を出版している会社なので、オフィスの仕事が忙しくないときは、近藤先生の楽譜を勉強していました。2005年、近藤先生は北イギリスのHuddersfield Contemporary Music Festivalの主要な作曲家でしたが、私はその時初めて近藤先生に会い、先生の下で勉強するために、来日の計画を立て始めました。文部科学省の奨学金のおかげで、翌年の秋に来日することになりました。

⒉ 「精神性」について
ヨーク大学の時は、ただニヒリスティックなだけではありませんでした。前に述べましたように、大変美しい作品を作曲したフェルドマンをよく勉強していました。このとき、音楽学者のCatherine Hirata氏が書いたフェルドマン作品の神秘(マジック)についての論文を読みました。そのアイディアに私は大きな影響を受けました。私は無神論者ですが、精神性を信じないとまでは言いません。皆さんの頭の中では、精神性な経験が存在する可能性があると思っています。しかし、フェルドマンの絶対抽象音楽(本当に絶対的に抽象的なものは作れないと思いますが、フェルドマンの作品はそれに近づいていると思います)の目的とわたしの作品の目的は違います。私は小学生から国際政治や社会に興味がありましたので、抽象アートをみるのは大好きでしたが、それを作ることはできませんし、抽象的な作品を作りたいとも思っていません。
その時は国際映画をよく見ました。大好きな映画監督はほとんどアジア人でした。アピチャートポン・ウィーラセータクン監督、キム・ギドク監督、ツァイ・ミンリャン監督などが私のお気に入りです。なぜ好きだったのか考えますと、彼らは非常に静かな、沈黙する映画を作ったからです。ペースがゆっくりしていて、事件やプロットがあまりありません。それだけではなくて、大好きな映画は殆どが精神性なテーマを掲げていました。しばしば仏教がテーマでした。それから徐々に、アジアの音楽と伝統劇曲を見たくなりました。
藝大の研究生の時、ほぼ毎週一回、近藤先生のレッスンを受け、それと並行して箏の授業に参加しました。またお能を時々見ました。箏の美しさ、多彩な音色、自由な調性が好きになっていきましたし、お能の神秘的な精神性など、だんだん古い日本文化に魅了されるようになりました。
2008年の頭、藝大で最後に作った作品は初めての箏曲でした。その時までは殆どシンプルな、歌のない箏曲を聴いていました。近藤先生は私が「箏曲を作ろうと思います」と言いましたら、通常の調性を使うべきであること、また箏曲は箏を弾くだけではなくて、演奏者はやっぱり歌うことが多いので、歌のパートも作曲すべきでは、というアドバイスを下さいました。
高橋睦郎氏の詩を私はその時、よく読んでいました。おそらく英訳された高橋さんの作品は全部読んだと思います。彼のテーマは宗教とセクシュアリティー、精神性と身体性などですが、どれも面白いもので、私の大好きなカナダ人の詩人、レナード・コーエン氏のようだと思いました。このような経緯があって、初めての箏曲、しかも初めて日本語テキストを使った作品は「古代女神に扮した私」というものになりました。菊地奈緒子氏が初演された。ちょっとお聞きください。



ニーチェが言ったように「神は死んだ」社会、宗教を信じられない社会における音楽の役割の一つは、シャーマンのように精神世界と実社会を繋げることだと思っています。京都学派の哲学者、上田閑照氏の「虚空間」の概念をここで説明しようと思います。京都学派については政治的な問題が多いと知っていますが、日本の伝統芸術とか宗教を理解しようとした時、京都学派の哲学者は割に西洋哲学をよく知ってるので、比較哲学みたいな論文が多く書かれていますし、そのために私には読んでいて分かりやすいのです。ちょっと長いですが、引用します:
「世界内存在としての私たちのあり方が、実は二重世界内存在であるというところを見る必要があります。要は、包括的意味空間である世界は世界としていわば限りない開け、『無』意味『虚』空間ともいうべき『限りない開け』に『於てある』ということ。私たちが世界の内にあるというのは、限りない開けに『於てある』世界の内にあるということです。その際、世界は言葉世界と重なっていますので、往々にして、むしろさしあたって大抵の場合は、言葉の限定力と意味運関の枠づけに知らず知らずのうちにしばられて、世界即言葉世界だけが世界内存在の世界とされ、世界を超え包む限りない開けは閉ざされてしまっています。」
上田氏は詩歌と宗教の言葉、特に禅宗の公案のような言葉だけが虚空間を映し出せると言っていますが、私がこの文章を読んだときはむしろ、言葉より音楽のほうがよりよく虚空間、つまり精神世界を映し出せるのではないか、と思いました。
チベット密教の仏教徒でイギリス人の代表的な作曲家、ジョナサン・ハーヴェイは1980年に「無調性」という論文を書いています。ハーヴェイの論題は、現在の世界が精神性的な音楽を必要としていること、また無調性の音楽だけが精神世界を現せる、というものです。調性音楽は極めて当然のことながらトニカに基づいているので、無目的論的に浮遊するようなの音の動き方ができません。
調性音楽は分かちがたくこの世と深くかかわっていますので、無調性で無目的論的な作品だけがシャーマンのように、上田氏のいう虚空間と精神世界と実社会とを繋げるわけです。

⒊ お能と序破急
シャーマンが原始時代からいるように、虚空間と実社会を繋ぐ芸術も、原始時代からあります。もしかしたら、最初の音楽の演奏者はシャーマンだったかもしれません。室町時代に生まれた神秘的な芸術のひとつが能楽です。来日以前、大好きな仏教に関係した映画のおかげで、アジア時間的な伝統芸術がとても気に入りました。特に戯曲です。日本へ勉強しに行く計画すると同時に、お能を学び始めました。ちなみに、去年からは実際に謡のお稽古を始めました。
在仏の日本人作曲家である丹波明氏の論文「La structure musicale du nō」を数回読みまして、来日してからは時々能楽堂に行くようになりました。すぐに能に心を奪われました。能のプロットは、アリストテレスが『詩学』で定義した芝居の粗筋に比べると、無目的論的だと思いました。能はシンプルです。例えば、オーケストラ、つまりお囃子は、能管というフルート一つと鼓というドラムが二つ、多くても3つしかありません。シンプルですから、各音符、各ジェスチャーに意味が持たせてあります。十年前の私には何も分かりませんでしたが、何か深い意味があるという感じだけはよく分かりました。どうやら脳が精神性への扉を開いてくれたようです。
能にはトニカに基づいた調性がありません。和音進行ではなくて、音の密度によって劇的なテンションを作り出します。それだけではなくて、部分を取っても、全体の構造を取っても、ある特殊なリズムを使います:それは序破急という構造です。序破急は循環的な構造です。ですから、それは無目的論的な構造です。
その知識をまだ浅くしか知りませんでしたが、すぐに自分の作品にその手法を使おうと思いました。最初に、能管の調性に基づいたピアノソロ曲を作ってから、能の序破急の構造を集中的に用いるようになりました。今でも殆どの私の曲を序破急の構成を使います。私にとってこれは本当に満足できる構成です。
序破急を用いて書いた最初の長い作品は「小雄鹿」という箏曲でした。この曲で、ピッチとムードは小倉百人一首の和歌7つ基づいています。表現上、音色を精密に書くために演奏者の吉澤延隆さんと一緒に、新しい書き方と技法を編み出しました。



⒋ 自然
和歌を鑑賞するようになってすぐに、私はその詩形、詩の形式ですね、その簡潔さと美しさが大好きになりました。つい最近、和歌の間テキスト性、いわゆるインターテクスチュアリティーですが、これが気になりはじめています。和歌の長所ですが、和歌は自然の無常であることや、儚さに細心の注意を払います。現在の歌人にとって季語は大体はカタ、カタチだけ、目に見える自然の意味まで表現することは少なくなりましたが、少なくとも古代の名歌には、うつろいゆく自然をどのように理解していたかが明らかです。
先に述べたように、政治と社会が私にとっては長い間の興味です。ご存じの通り、私たちの時代の一番大きい問題のひとつは環境です。子供の頃からずっと世界環境を守りたいと思ってきましたが、地球温暖化、世界の政界の右傾化を見ると、まるで末法の世が来ているように感じられます:どのようにアーティストがこれに反応したらいいのか、私はよく考えます。
今、末法という言葉を使いました。それは仏教用語で、「仏法が行われなくなる時代」という意味です。鎌倉時代初期、その言葉はよく使われたと言われています。なぜなら、大地震が起こりましたし、京都では大火事が起こったり、飢饉が起こったからです。また鎌倉幕府が始まったこともそうです。それらは、仏法が行われなくなる証拠だと考えられていました。
思想家と文化人には、色々な反応がありました。末法を信じた人が多い中で、道元禅師は末法時代ではないと言い切っています。鴨長明は遁世しました。
私自身は、現在が末法のような時代だと思いっています。ですから、最近は人間のことだけではなくて、自然についての曲を作っています。今のところ実際に遁世できておりませんが、自然についての曲を書くことで人間世界からちょっと自然なことに目を向けることが出来ます。
2014年のモノオペラ「松虫」は、先ほど述べたようなこと、その全ての集大成でした。台本はお能の、神秘的な同性愛的ラブストーリーに基づいたものです。少しプログラムノートから引用します:
「空は、東洋思想においては積極的な含意のある観念なのだが、西洋においては全くそうではない。否定的なもので、単に不在とか欠落としてしか捉えられていない。ここに積極的で美的なものを見出すようなものを英語で書きたいと思った。そこにもう一つ『荒れ地』という概念を加えてみた。これも私が強調したかったものである。荒れ地が西洋においてほど日本では肯定的なものと受け取られていないことを鑑みると、日本とヨーロッパでは『空』と『荒れ地』に関してその文化的受け止め方がすれ違っている。この『人の住まぬ未開の荒れた土地』はコンセプトとして、あるいはそこへ出掛けてゆく目的地と考えても比較的新しい考え方ではあるが、山にせよ荒れ野(『モア』)にせよ、それは荘厳な何物かの美しく威風堂々たる具現としてしかもはや考えられぬものとしてヨーロッパ人の心を惹きつけてやまない、そういったものなのである。私は『松虫』はモアで死んだ若者、ある意味で自然に惹かれ、殺された若者の話である。日本語で説明するとき、私はこのモアという言葉を説明するのに苦労をした。モアと言えば陽光隈なくそそぐ野のそぞろ歩き、彩り豊かな潅木地帯にぽつんと田舎風の飲み屋といったイメージが直ちにヨーロッパ人の脳裡に浮かぶようなものなのであるが、日本語に訳すとなると「不毛の地」というように、何か消極的で恐ろし気な場所であるような含意なしにこれを翻訳するのは困難である。日本の聴衆にはこうした土地の美しさを訴え、西洋の聴衆にはまた儚さそれ自体を高らしめ、以って双方の聴衆が自身の文化的な先入観を点検して欲しいとも思った。」
今、この「松虫」の最後の部分をお見せしようと思います。それで、オーボエ演奏者が演じた若者の幽霊にソプラノが演じた飲み屋の主人は「甘く香る聖餐式/崩れ、無へと霧消するあなたの聖餐式 」と言います。



「松虫」は2014年11月、私の「工房•寂」というミュージック•シアター•プロダクション•カンパニーがヴァニタスシリーズ vol.1として開催した演奏会で演奏されました。「ヴァニタス」は「むなしさ」ですとか、「空虚」という意味のラテン語の言葉です。そのシリーズの名前はサルヴァトーレ•シャリーノ氏が1983年に作った「ヴァニタス」というオペラからとりました。2014年の演奏会ではシャリーノ氏のこのオペラも同時に演奏しました。ヴァニタスシリーズのテーマは、震災や末法思想、儚さや死をニヒリスティックでないやり方で探ろうというものです。今年の10月19日と20日、ヴァニタス・シリーズvol.2を東京オペラシティの近江楽堂で開催します。わたしの新作である「フォーリングス」という笙と竽、ヴィオラ、チェロのトリオを、ユーグ•フライ氏が作曲した四つの曲とともに演奏します。

⒌ 国家と伝統
最後のお聞きいただきたい作品は「借景」という曲です。それは十七弦とギターのデュオです。構成は序破急ですが、この曲ではスピードや強弱を問わずに、密度だけで序破急のテンションの波の構造を実験しようと思いました。
とりあえず聴きましょう。この曲は深山マクィーン時田氏とDylan Lardelli氏の委嘱によるもので、お二人が演奏してくれました。



「借景」というのは、面白い概念だと思います。人工的なもの、つまり庭園、と自然なもの、つまり背景の景色の間に区別がありますが、人工的な庭園が自然に敬意を払いつつデザインされているという点です。いくらか飛躍して言えば、人間の社会も自然に敬意を払いつつ発展すれば、理想だと思います。実際に、庭園と背景、人間と自然、全ては一体になっています。
別の比喩を考えましょう。現代の作品が人工の庭だとすれば、自然の背景は伝統的な文化だと言えるかもしれません。我々作曲家は伝統的な文化をあれこれいうことはできず、好き嫌いを問わず、いつも伝統というものは背景にあるものなのではないでしょうか。伝統を無視したら、あるいは最悪なのは伝統に無知であったら、自分の作品の価値を減少することになるでしょう。なぜなら、作曲家は伝統を無視するか、伝統に無知であるかだけですが、演奏者と聴衆は伝統をよく知っているわけですから、現代の作品を解釈する場合は常にそれを伝統と比較するからです。
私の申し上げていることを、保守的だと感じる方があるかもしれませんしかし本当は逆だと思います。伝統を知らなければ、革新的な作品は作れないと申し上げたいからです。ですから新しい楽器のために作曲する前には、その楽器の伝統をよく研究した方がいいと思います。
よく知らない楽器を使った曲を書くときに、一番大切なことの一つは、その楽器やその楽器を使った作品のこれまでの蓄積を知っておくことではないでしょうか。私は来日して10年になりますが、残念ながらまだ日本文化と伝統芸能についてはまだ初心者だと思います。政治的な話になりますが、自分の文化にない楽器や概念を使うときに、その文化のネイティヴがそれを歓迎しないことがあります。
私のブログを引用します。カナダのウィニペグ市で「埋木」という弦楽四重奏曲を再初演した後で:
「聴衆からも質問を受けましたが、わたしには大変難しい質問が来た。今、北米の若者の中に、アイデンティティーポリティクスの意識が強くなっています。それは知っているので、そのような質問がくるのをちょっと見込んでいましたが、その話題は難しいので話したくなかったのです。聴衆はアイデンティティーポリティクスの問題に絡めて、白人でありカナダ人であるあなたが日本人の音楽構造と和楽器を使うのは私物化ではないか?という質問です。もちろん、ほとんど10年間在日外国人として暮らすわたしはその話題をよく考えていました。わたしの答えは日本は植民地ではなくむしろ帝国だった、したがって黒人とアラブ人のようなアイデンティティーポリティクスはちょっとあてはまらないと思っています、というもの。また普通の日本人は残念ながら伝統芸能について全然知らないのです。学校ではほとんど教わらないですし。わたしは10年間以上、日本の伝統音楽と能とその美学を勉強してきました。我ながら、普通の日本人よりわたしの方が日本の伝統芸能をよく知っていると言えるでしょう。
文化は国際的なものだと思います。祖先や系統は関係ないと思うのです。伝統芸能をよく学んで、実践するならどの国の人でもやっていいとわたしは思います。日本人だけど、敬意を払わず伝統芸能を使ったらよくない。そこに人種は関係ありません。」

⒍ 結論
今日は日本と私の関係について話しました。日本の国と文化からたくさん学ぶことができました。もちろん、日本の文化と関係ない曲もありますから、私の作曲活動の一面だけですが、今日は発表しました。和楽器か洋楽器かを問わず、またどんな言語をテキストに使っても、同じ希望が持てると今は思っています。私の作品を通じて虚空間、つまり精神世界を、たとえそれがわずかなものであっても聞き手の中に立ち現れるようにすることができると思います。
将来的には自然をもっと深く探検しようと思います。9月に初演される「ミューオン」という作品はフィールド•レコーディングと金属、プラスチックのもの使わずに自然な打楽器のための曲です。
さらに、私の作品では沈黙する部分が増えていますし、もっと実験的な作品を作ろうとも思っています。15年前に、イギリスに引っ越したばかりのころ、フェルドマン氏が私に大きな影響を与えましたが、最近私はだんだんケージ派になっているような気がします。15年後、どこにいるか分からなくても、日本を出たとしても、いつでも日本文化の影響を感じながら作曲することになるでしょう。

ご静聴ありがとうございました。