Daryl Jamieson

composer

世界音楽の日々

いよいよエストニアへ「世界音楽の日々2019年」に参加しに出発します。日本現代音楽協会の代表者としてはもちろん、自分の作品も演奏されます。5月7日、アルヴォ・ペルト・センターでクリスティ・ミューリング氏(カンヌル)と菊地奈緒子氏(箏)が(元々はギターと17弦のための)「借景」(2015年)という曲を新編曲で世界初演します。詳しくは(英語とエストニア語で)こちらにクリックしてください。また、Facebookのイベントページはこちらです。

2019年5月25日 歌枕4:歌枕4:セント・ダンストン・イン・ジ・イースト

次の日本での演奏会は525日です。
自分の新作の「歌枕
4:セント・ダンストン・イン・ジ・イースト」という木管五重奏曲を演奏されるだけでなくて、藤枝守氏が新しく編曲した「植物文様第 19 オリーブの枝が話す」と「同 21 金沢のオーク」も演奏されます。是非いらしてください。
チケットのご購入は直接工房・寂までメールでお知らせください(ウェブサイトはこちら)
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2019年2月23日 横浜のギャラリー・パリで室内楽コンサート

横浜・日本大通りにある現代アートとファッションの画廊ギャラリー・パリと、工房・寂が共同開催する演奏会のご案内です。現代音楽専門の演奏家、山田岳氏(ギター)と岩瀬龍太氏(クラリネット)が演奏します。私が作曲した2作品も演奏予定です。

「Goodbye my son」は、クラリネットとギターのための作品です。中田雄一郎監督による同名の短編映画のBGMとして作曲しました。サウンドトラックを録音後、一年以上が経ちましたが、同じ演奏者によってようやくライブの世界初演です。

エレキギターとフィールド・レコーディングのための「歌枕1:寧楽池(ならのいけ)」は、山田岳氏によって再演されます(9月に初演された「歌枕2:アルナルダールル」、11月に初演された「歌枕3:西方寺」もこちらからご覧ください)。エレキギターのための作品を作曲するのは初めてだったので、私にとっては本当に実験的な作品です。
プログラムノートより:

歌枕1:「寧楽池」は、春日大社の池と猿沢池、勝間田池といった歌枕に導かれて作曲した。それらの池はそれぞれ春や王子の恋人の自殺、儚さに関連付けられている。




演奏会のプログラム:

ゼミソン・ダリル 「歌枕1:寧楽池」 エレキギターとフィールドレコーディング
ゼミソン・ダリル Goodbye my son」(世界初演) クラリネットとギター
西風満紀子 「St Michael's Garden」 ギター
アレックス・ ジャング momentary encounter (5)」(日本初演) クラリネット
ジャチント・シェルシ 「影のための祈り」 クラリネット
ダニエル・プランデス with our shadows(ぼくたちの影を背負って) クラリネットとギター

とき:2019年2月23日19時(開演)、18時半(開場)

チケット:3000円(予約、一般)1500円(予約、大学生まで)
終演後、レセプション・パーティを行います。ワインとソフト・ドリンクが含まれます。

開場:ギャルリー・パリ 横浜市中区日本大通14 旧三井物産ビル1階

詳しくは工房・寂のホームページに飛んでください。

歌枕3:西芳寺

現代音楽シリーズ「庭」 第1回公演

プログラム

1 : ジョン・ケージ 「龍安寺 - Ryoanji
2 : ゼミソン・ダリル「西芳寺 - Saihōji

出演: 
 薬師寺典子(ソプラノ)
 海上なぎさ(オーボエ/イングリッシュ・ホルン)
 會田瑞樹(打楽器)

と き: 20181110日(土)
開 演: 16 時開演(開場 30 分前)

一般券: 3500

終演後、レセプション・パーティを行います。伊勢佐木バル333特製のスペイン料理はもちろんのこと、本公演のために特にご用意いたしましたオリジナル・ カクテル「龍安寺」「西芳寺」も休憩時に是非お楽しみください。(有料)
チケットのご購入は直接工房・寂までメールでお知らせください(ウェブサイトはこちら)

ところ: 伊勢佐木バル333
     横浜市中区伊勢佐木町 1-3-1 B1

「虚音」

最近執筆した学術論文が、美学雑誌「Journal of Aesthetics and Art Criticism」に発表されました。「虚音:禅由来の現代音楽の美学に向かって」という論文です。現代音楽の聴き方/解釈の仕方が日本の哲学(特に京都学派の美学)にどう影響を受けたか、についてです。また、「Aesthetics for Birds」という美学ブログが簡単な要約を投稿してくれています(英語、無料)。

摘要
To attempt to fill a perceived gap in Japanese aesthetics concerning music, this paper sketches a possible way into conceptualising a Zen- or Kyoto-school-derived aesthetics of contemporary music. Drawing principally on Kyoto-School philosopher Ueda Shizuteru’s theories of language’s three levels (signal, symbolic, and hollow words), the author proposes a similar distinction between different kinds of musical experience. Analogous with Ueda’s analysis of poetry, the oscillation of signal or symbolic sound and hollow ones is found to be what gives certain contemporary music its spiritual power. By applying this poetic-religious theory of language to music, an entirely new way of understanding contemporary music becomes apparent. As test case of this new approach, Morton Feldman’s 1970 work The Viola in My Life (2) is analysed. The final section addresses the differences between this method of understanding via nothingness and traditional Idealist approaches via the Absolute.
Keywords: Kyoto School, Ueda Shizuteru, Morton Feldman, Jonathan Harvey, aesthetics of contemporary (atonal) music